「はぁー」
溜息は体内のビタミン成分を削ってしまうらしい。
怒ったら怖い家庭科のオバサンが言ってた。
そのオバサン、20代後半でまだ独身、美人教師で通ってる。
クラスの馬鹿な男子なんて、ほとんど騙されてる。
女子だって同じだ、大して“美人”じゃないくせに。
あのモナリザの微笑みの裏の鬼を知らないから、先生先生って言ってられるんだ。
その点気が合ったのが、意外にも銀八だった。
あいつ、一番オバサンにデレデレしてるかと思ったら、見抜いてた。
オバサンの裏の顔も、あたしの裏も。
「お前、自分以外の女子とか嫌いだろ?」
それは放課後、提出物を出しに行ったときだった。
平然を装って「は?」って笑ってやろうかと思って顔を上げたら、逆に笑われた。
にやり、って音が出そうなくらいに。
でも眼鏡の奥の目は笑ってなかったし、明らかにあたしを見下した目をしてた。
その目が忘れられなくて、それから1週間も経たないうちに、あたしは銀八に興味を持った。
「(せんせ、きょう、いえ、いっていい、?)」
「えー、うん、ということで、ここの文法は…」
銀八もノリ気だった、授業中に口パクでコンタクトしたら、絶対に答えてくれてたし。
それに、先生と生徒っていう一線なんて、簡単に越えられた。
躊躇なんて言葉、あたしには似合わないんだ。
「あー、眠たっ」
五限目の授業が終わって欠伸をしてると、教室に銀八が入ってきた。
まだ六限目のLHRまで5分くらいあるのに、どうしたんだろって見てたら、目が合った。
いつもなら、あたしがニコって笑って、銀八は頭ぼりぼりって掻くのに今日は違った。
目が合ったとたん、視線を外された。
あたしはニコってする暇がなくて、ああ、目なんて合わなかったんだって思い過ごすことにした。
チャイムが鳴って、ざわつきながらもみんな席に座っていく。
少し静かになったところで、銀八がワザとらしい咳をした。
なんだかオッサンに見えて仕方なくて、仕様もなかった。
「てめーら喜べ、ついに俺結婚することになりました」
語尾の敬語が不自然過ぎて、笑いそうになった。
それが、先生なりのあたしへの慈悲なのかは分からないけど。
クラスのみんなは「よかったね、先生!」「あんな美人教師をものにするなんて!」とかはやし立てて、盛り上がってる。
その状況を見たところ、クラスのほとんどが銀八とオバサンが交際していたことに気が付いていたらしい。
もちろん、あたしも。
あたしはつまらない授業を受けている時と同じように、頬に手をつき窓の外を見てボーっとしてた。
今この瞬間、人生で一番くだらない時間を過ごしているのだ、と自分に言い聞かせて。
溜息は体内のビタミン成分を削ってしまうらしい。
怒ったら怖い家庭科のオバサンが言ってた。
だからあたしは今、必死で溜息をつかないように頑張ってる。
頑張りすぎて、喉の奥が焼けそうなくらい。
プルプル震えて、溜息しそうになっても、咳をして、頑張ってる。
涙よりも、溜息を我慢してる。
あなたはあたしのビタミン剤
(笑った顔も怒った顔もみんなみんな、あいつのことが好きなんだよ)
(うわー先生照れてるー!)
2008/6/5
→2008/7/17