「あ、沖田。こんな時間までどしたのー、また補習?」
オレンジがかった教室、完全下校のアナウンス、教室にきたヤツ。
1人で机にうつ伏せてボーっとしていたら、ヤツが来た。
ヤツはやっかいな人間らしく、情を飲み込もうとする性質があるらしい。
これは、こうしてヤツと放課後の時間にちょっとした会話を交える間に知ったこと。
実際、ヤツはここで1人で泣こうとしていた。
が、そこにたまたま、忘れ物を取りに俺が来たってことだ。


「いや、今日はそうじゃないんでさァ。」
いつも俺は、ここに残っている理由を補習だと言っている。
まあ、補習の日もあったりなかったりするが、今日は違った。
ヤツは「へー、じゃあなんで残ってたの?」と言いながら自分の席へ向かい、机の中を覗くと「あったー。」と呟き、机の中のノートを鞄にしまった。

「今日は、を待ってたんでィ。」
俺はヤツの反応を楽しもうと色声を出してみた。自分でも気持ち悪さが耳に残る。
するとヤツは、笑いながら「え、何で?」と俺の席に近づいてきた。
俺は『つまんねえ』と一瞬思い、口元を緩ました。

「もう泣かないんですかィ。」
ヤツをじっと見ながら言った。ヤツは「なーんだ。」と言って俺に背を向け教室から出ようとした。
俺は咄嗟にヤツの左手を掴み、体を抱き寄せた。
ヤツの顔が俺の体に当たったのか、「いたっ。」と言う声が聞こえた。
それから2、3秒後にヤツの体が震えていることに気が付いた。
ああ、またか、と思いながら俺は抱きしめる力を強めた。

「なんで溜め込むんですかィ。またここで泣くつもりだったんでしょう。」
俺はヤツのシャンプーの香りに酔いながら言った。
ヤツが口を開くまでに、ああ、またシャンプー変えたのか、と脳が思った。

「だって、先 生、先生に、 好きな人が いる って ・・・。」

「そいつは残念でしたねィ。」

「あた し、 それ知ら なかったし・・・。」

「そいつも残念でしたねィ。」

「お、きた・・・バカ にすんのやめ てよ。」

バカにはしてませんよ、そう言って腕の力を緩めるとヤツは顔を見せまいとぎゅっと俺の制服を握った。
俺の腕の中で泣いているのだから、顔がボロボロなのだろう。

バカにはしていない、それは本心だ。ただ、今日のヤツの不幸を喜んでいるのは確か。
こんなことを本人に言えば、俺は平手打ちを食らうか、どうかするだろう。
けれど、今日の不幸は俺にとって喜ぶべきものだと思う。
ヤツに気をとられるようになって、目で追った先には、煙草臭い国語教師がいたのだ。
昨日も、今日も、明日も。今日の不幸がなければ、ヤツは国語教師がいる資料室へ通っていたのだろう。けれど、煙草臭い国語教師の先には、ヤツの言った通り好きな人がいる。
叶いそうにない『ヤツ』の恋と、叶いそうになかった俺の恋。



「おい、。」

「何よ、いきな り名前 で呼ぶ なって。」

初めてヤツの前で名前で呼んだ俺と、涙を拭おうと指先を頬に滑らすヤツ。

教室には2人だけで、やけに部屋が広く感じる。


「俺、 」





室内とヤツの顔はオレンジに染まる。
(教室を出る頃、俺はヤツに「シャンプー変えただろ」と言えるだろうか)



2007.08.04